横浜港の開港からの歴史を徹底調査!何が起きたか読めばスッキリ!

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気候のいい時期にちょっとどこかに行きたい。

首都圏で、海でも公園でも遊べて食べ歩きもできる横浜港は絶好の観光スポットです。

今でも大きな外国船が多数訪れる横浜は日本の中でも有数の港町。

巨大なクルーズ船を見に港を訪れる人もたくさんいます。

 

今は370万人の人口を誇る大都市横浜、

江戸時代には100戸ほどの小さな漁村だったことをご存じですか?

 

小さな村が港とともに大都会に変わっていく横浜の歴史を調査してみました。

 

 

 

 

日米修好通商条約締結後の1859年7月1日開港

 

なぜ、小さな漁村が巨大な港町に生まれ変わったのか。

ことのはじめは小学校の教科書にも載っている日本史上の有名な出来事、

黒船来航でした。

それまで限られた国だけとつきあってきた日本が、

世界の国々と国交を結ぶことになった一大転換点です。

 

そのときに海外の国に向かって開かれた5つの港がありました。

その中の一つが横浜港です。

 

最初条約を結んだアメリカのペリー提督は東海道にあった神奈川の宿を

港にすることを思い描いていたようです。

しかし、江戸幕府側は外国人を追い出そうとする攘夷運動もおこっていたことから、

なるべく外国人を一カ所に封じ込めたいと思っていました。

それで近くにあった横浜という漁村を整備し、港にしました。

 

ちょうど新田開発で埋め立てを進めている最中で

開発しやすかったのも理由のようですね。

 

そんなわけで横浜の町が急いで作られ、

安政6年(1859年)6月2日に横浜港は開港しました。

これは旧暦ですので現在の7月1日にあたります。

ちなみに今の横浜港開港記念日は6月2日です。

 

当初は船が港に直接は入れず、

沖合にとまった船から人や物を小舟で運ぶような港でした。

 

 

 

 

国際貿易港として日本の近代化を背負う

 

このようにして長崎の出島のように日本人と外国人を分けるための港でしたが、

時代は文明開化の時代。多くの人が横浜に集まり、町は拡大していきます。

 

今観光名所となっている外国人居留地、外人墓地、

中華街などの原型が作られたのはこの時期です。

 

明治22年から29年にかけて埠頭も整備され、

貿易拠点としてさらに規模を拡大していきます。

 

明治末から大正時代の最初に立てられた赤レンガ倉庫は歴史的建造物として残っていて、

今ではコンサートや催し物にも利用されていますね。

 

横浜の港が整備されて行くにつれ、周りの海を埋め立てて工場が建ち始めました。

京浜工業地帯のはしりです。

こうして商業、工業両面で日本有数の港になりました。

 

 

順調に発展を遂げていった横浜港ですが、試練が襲います。

 

大正13年(1923年)の関東大震災です。

東京での被害が強調される大地震ですが震源地に近かった神奈川県のほうが、

被害は大きかったのです。

 

横浜港の多くの建物が地震直後に崩壊、

その後の火事で町は燃やし尽くされてしまいました。

 

震災後、横浜市は土地区画整理を行い、より新しく便利な町へと生まれ変わります。

 

このとき作られたのが

「赤い靴を履いていた女の子の像」があることで有名な山下公園です。

この公園は震災ででたガレキで埋め立てた上に作られました。

当時は珍しい海を臨んだ公園でした。

 

せっかく復興した横浜港ですが太平洋戦争の空襲で焼け野原になります。

敗戦後しばらくはGHQの管理下に置かれていました。

 

 

 

 

開港130周年には横浜博覧会が開催された

 

終戦後の昭和49年(1949年)ふたたび民間貿易を再開した横浜港は、

貿易額を年々伸ばし、

ついに1950年代の後半に戦前の規模をしのぐまでに成長します。

 

周辺地域にも重化学工場が建ち並び、

一大工業地帯の玄関口としての顔を持つようになります。

 

東京オリンピックの行われた1964年には、

大型客船が停泊できるように大さん橋埠頭が整備されました。

現在ここには日本を代表するクルーズ船飛鳥もしばしば寄港します。

 

1960年代に入って海外からの物流はコンテナが主流となってきました。

横浜港は新しい施設を作る一方で古くなった施設を、

どうするのかということが問題になってきたのです。

 

そこで考え出されたのが「みなとみらい21」という計画でした。

 

桜木町駅の海側にあった三菱重工の造船所とその向こうの海を埋め立て、

一大オフィス街を作り出す計画です。

埋め立てが始まったのは計画が立てられてから15年もたった1983年でした。

 

この埋め立て地は1989年開港130周年記念の横浜博覧会の会場になりました。

1331万人もの動員数を誇った一大イベントでした。

 

企業の出店したパピリオンが並び、当時珍しかった歩く歩道やゴンドラ、

ディーゼル車など各方面からの観客の輸送手段も話題になりました。

 

博覧会の後に美術館や一部の施設を除いて跡地には、

オフィスビルやホテルなどが計画的に建てられました。

 

今では横浜ランドマークタワーやよこはまコスモワールドなどもある

遊べるスポットになっています。

 

それから20年後の2009年今度は「開国・開港Y150」が開かれました。

港だけではなく横浜の町全体を使ったイベントでした。

赤レンガ倉庫もある新港地区がメイン会場で横浜市全体を使ったイベントでした。

 

 

 

まとめ

 

 

今も横浜港は発展を続けています。

150周年イベントの後には新しい観光スポットとして。

カップヌードルミュージアムやアンパンマン・ミュージアムも

みなとみらい地区に建てられました。

 

また、近年のクルーズの需要を受けて、大黒ふ頭、新港ふ頭もあらたに

旅客用の埠頭として整備中です。

 

時代によって様々な顔を見せてくれる横浜港、

これからどんな光景を見せてくれるのでしょうか。

 

 

 

 

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